こんなときにも教育者(パート2)

こんなときにも教育者:シリーズNo.8 協力と競争
 社会心理学的な知見なのですが,不確かです。「かぐや姫」は7名からプロポーズされたようです。モテ期だったのでしょうが,プロポーズした男性たちのほうからしたら,過酷な競争ですよね。もしかぐや姫と結婚できるのが7名のうちの1名だけだとしたら,他の6名は結婚できなくなります。
つまり,1名が「結婚」という目的を達成したら,他の6名は「結婚」という目的を達成できなくなるのです。ドイッチュという社会心理学者は,このような「自分(他者)の目的の達成が他者(自分)の目的の達成を妨げるとき」を「競争」と呼びました。逆に,「自分(他者)の目標の達成が他者(自分)の目標の達成をもたらすとき」が「協力」事態です。
 クラスのみんなは,食料やガソリンが品薄なので,多くの「競争」が生まれていることを目にしていると思います。「他者が品物を手に入れる(目標を達成する)と,自分が品物を手に入れることができなくなってしまう(目標を達成できない)」のです。
アロンソンという社会心理学者は,現在の学校教育システムが,誰かが一番になると他の子どもは一番になれないといった「競争」を基本としていることを憂慮し,「協力」を基本とするシステムを導入しようと試みました。ジグソー協同学習法という方法です。グループで,子どもたちは,それぞれ個別の教材を学び,それぞれの子どもたちが学んだ個別の教材を持ち寄ることによって,はじめてそのグループは,目標を達成できるという構造になります。
 たとえば,陽一くん,彩奈さん,英司くん,祐香さんという4名グループを作り,陽一くんには「L」という部分を学習してもらいます。彩奈さんには「O」,英司くんには「V」,そして,祐香さんには「E」という部分を学習してもらうのです。そして,個別に学習した部分(ピース)を,グループに持ち寄ってもらいます。
すると,この4名のグループは,「LOVE」という学習が成立することになり,このようにグループの成員が協力することで始めて目標が達成できるようになるのです。ピースを組み合わせて全体を構成するのがジグソーパズルのようなので,ジグゾー協同学習法というのです。
 さて,現状は「協力」が必要です。自分の目標の達成が他者の目標の達成をもたらし,他者の目標の達成が自分の目標の達成をもたらすのです。クラスのみんなは,「協力」と「競争」の概念の違いをよく理解すること,そして,「協力」の必要性を十分に認識してください。

こんなときにも教育者:シリーズNo.9 プライバシーの確保
 クラスのなかにも一時,避難所にお世話になった学生がいましたね。テレビでも,避難所の様子が放送されると,体育館などの広い場所に,多くの人たちが避難しています。避難所生活がご不便でストレスフルなのは,食べ物,暖房,トイレなどの問題も大きいのですが,プライバシーの確保という社会心理学的な影響も大きいのです。
 人は自分の周りに,一種の「なわばり」のような空間を持ちながら生活していると考えることができます。この空間を(  ),英語では(  )といいます。この空間への他者の侵入は,生理的な覚醒を高め,状況や進入した他者によっては,非常に不快な感情を引き起こすことがあります。
 この(  )は,自分の前方に長く,後方に短い卵のような形をしていることがわかっています。この空間の大きさは,例えば,攻撃性の高い人は広いといったように個人の性格,性別,社会文化などによって異なることも調べられています。
 電車では,シートの端と端に最初に人が座り,次に真ん中,その次に端の人と真ん中の人の真ん中に座っていくという現象や満員電車が不快だったりするのは,人々がもつ(  )の働きの大きさを示していると考えることができます。
 そして,混雑している避難所では,この(  )が確保できていない可能性が高いのです。まったく知らない人と接近して生活しなければならない。これは,かなりの苦痛ですし,不快です。この状態が長期に続くのは,ほんとうにストレスフルになるのです。だから,場所に余裕があるときには,周囲に十分な空間を確保してほしいと思いますし,空間的な制約でこれが難しいときには,段ボールで「ついたて」を作るなどして工夫してみてください。
 仮設住宅が建設されたり,他の避難所へ移動したりと,避難所に避難している人たちが少なくなってきているところもありますが,まだまだ多くの人たちが避難しているところもあります。ちょっとした工夫で,すこしだけだけど快適になりますので,ぜひ工夫してみてくださいね。

こんなときにも教育者:シリーズNo.10 余震の心理
 地震の被災者たちがとてもストレスに感じているのが,余震が続いていることです。今回の地震地震の規模も最大規模だったようですが,余震の頻度も過去に類がないほど多いようです。
余震があるたびに,恐怖がよみがえってきますよね。余震が嫌なのは,いつ起こる変わらないことです。
 行動分析学という領域があります。人間の行動を基本的に「条件づけ」によって理解しようとする学問領域のようです。そうです。あの「パブロフの犬」の条件づけです。クラスのみなさんも,誰かの授業で条件づけには,「古典的条件づけ」と「オペラント条件づけ」という種類があると習いましたよね。ちなみに,ぼくは,この分野がとても苦手です。だから,以下の説明も間違ってる可能性があります。自分できちんと調べなおしてくださいね。
 自分にとって都合の良いもの,ありがたいもの,つまりご褒美や報酬となるものを「正の強化子」というらしいです。ただ,なぜ,最後に「子」がついているのかわかりません。逆に,自分にとって都合の悪いもの,不快なもの,つまり罰となるものを「負の強化子」といいます。
 条件づけでは,報酬や罰がどのように行われるのかを「強化のスケジュール」と呼んでいます。この強化のスケジュールには,大きく言うと「回数」と「時間」という次元があります。たとえば,「10回レバーを押せば,必ず10回目の後にエサが出てくる」というのは,10回の行動に1回の比率でエサが出るというスケジュールになります。回数の率が決まっているので,「定率(定比率)強化」といいます。これに対して,「何回レバーを押せばエサが出るのか決まっていない」というのが「不定率(不定比率)強化」です。
 一般に「定率強化」より「不定率強化」のほうが条件づけ反応が強固になる(消去抵抗が大きい)ことがわかっています。パチンコや競馬などのギャンブルにどうして依存するのかというのに,ギャンブルは,ずっと負けていても,次はいつ勝つかわらかないという不定率強化のスケジュールになっているからだという説明をすることが多いようです。
 強化スケジュールのもう一つの次元が「時間」です。例えば,「月給」は,一ヶ月という時間が経てばお給料が支払われるシステムです。そこでは,どのくらいお仕事したかどうかは関係ありません(お給料が下がることはあるかもしれませんが)。基本的には,「一定の時間が経てば,報酬が与えられる」というスケジュールなのです。これを「定間隔(定時隔)強化」といいます。これに対して,たとえば,社長がとても気まぐれで,毎日お給料を支払うこともあるし,二三ヶ月お給料の支払いをしないというような場合,時間間隔が不定になりますので,このようなときが「不定間隔(不定時隔)強化」になります。
 さて,余震ですが,もし「余震フェチ」の人がいたら,その人には余震は正の強化子になるでしょうが,ほとんどの人にとっては,余震は負の強化子ですよね。そして,この余震というのが,いつくるかわからない,つまり「不定間隔の負の強化」になるのです(たぶん・・・もしかしたら,違うかもしれません)。クラスのみんなは,ぼくの言うことなんか信じず,自分で調べることを習慣にしてください。
 いずれにしても,余震はいつくるかわかりません。スマトラ沖地震のとき,最大余震は100日後くらいに起きたということもあるようです。くれぐれも,気をつけていきましょうね。

こんなときにも教育者:シリーズNo.11 吹っ飛ばせ
 さて,今度も,苦手な領域にチャレンジです。間違っている可能性がありますので,クラスのみんなは自分で調べてください。地震原子力発電所が大きなストレスとなるのは,被害が自分に及ぶのに,地震原子力発電所を自分の手でコントロールができないことにあります。つまり,自分が努力したり,工夫すれば,地震が収まったり,原子力発電所が正常になる訳ではないけれども,その被害は自分に大きく影響するという事態です。
 セリグマンとマイヤーという心理学者は,犬を対象として,自分が努力すれば電気ショックを回避できる条件と,自分が努力しても電気ショックを受けてしまう条件とを設定し,その後,犬たちが電気ショックを回避しようとするかどうかを調べました。すると,自分で努力すれば電気ショックを回避できた犬たちは,その後も電気ショックを回避しようとするのに対して,何をやっても電気ショックを受けてしまった犬は,その後,努力すれば電気ショックを回避できるにもかかわらず努力しようとしなかったのです。
 セリグマンは,これを「  」と呼びました。英語では,(   )です。「何をしてもだめ」ということを学習してしまったので,「何かすれば大丈夫」という状況になっても「何もしなくなる」という解釈になります。
 学力の低い子どもたちの中にも,「ぼくは勉強してもわからない」から「勉強なんかしない」と,この(  )のようなことを言う場合がありますよね。
 さて,地震原子力発電所ですが,自分が努力すれば,被害を回避できるわけでなないことを,私たちは学習してしまいました。大きな力の前では,わたしたちは無力なのかもしれません。ただし,無力だからといって,あきらめないでいきましょう。(    )なんか,吹っ飛ばせです。